大企業自体も驚くべき格差社会となっている

日本の大企業の経営陣は、社内政治の勝者であっても、ビジネスマンとは呼べない人も多い。なぜ、そのような人に経営陣が務まるのか。大企業の経営陣には多くの有能な部下がいる。それで、今日のようなデジタル社会でも、ITAIなどのツールを自分で使う必要が無い。国際化したと言っても、経営陣自ら英語でビジネス交渉する必要も無い。仕事は部下に丸投げ。本人は社内政治に明け暮れていられる。

外国企業とのM&A交渉などでは、相手方外国企業はトップと弁護士だけなのに、日本企業は、トップの代わりにたくさんの部長とその部下大勢が出席する。しかし、交渉の間、意見を発するのは数人。しかも、トップが交渉の場にいないため、結論は持ち帰り。もたもた交渉している間に、相手方は匙を投げ、他の相手を探し出す始末。

日本の経営陣にビジネスマンとしての能力が欠けているから、日本の生産性が低いと思わざるを得ない。

ここまでで、お判りの通り、日本の大企業では、能力と出世の間にあまり相関関係がない。若い人にとっては信じられないかも知れないが、大企業では、ドラマに出てくるキレキレのエリート風の人間は、早々に脱落する。競争相手がたくさんいる大企業では、潰し合いの結果、「目立たず、忍耐強く、敵をつくらない人」が生き残って出世する。しかも、これはジャパン・アズ・ナンバーワンと言われていた昭和の時代からあまり変わっていない、残念な限り。

日本では専門的な技術や経営、法律を学んでいなくても、また修士号や博士号を持っていなくても大企業に入れる。そのため、新入社員の専門能力は無きに等しい。そうした弱点を補強し、専門性と語学力を併せ持つ人材の育成として導入されたのが海外留学制度。海外の大学院で修士号や博士号を取得させるのが狙い。しかし、なぜか留学から戻った人材を使いこなせない。本来の狙いを達成している大企業はあまりない。

昔の大企業のサラリーマンは、定年間近の50歳台までは、普通に仕事をしている限り、出世や処遇に大きな差は出なかった。しかし最近では、40歳台に入る頃から、大きな差が出始める。同期で入社して一緒に切磋琢磨して働いてきた中から、あっという間に部長、役員へと昇進していく者が出てくる。そうした選ばれた人とは、いつの間にか働く場所も変わり、アポイントを取らなければ話すこともできなくなる。個室に入って秘書や社有車が付き、交際費を使える優雅な会社生活。さらに高額な報酬まで。最近では、経営陣と部長以下の従業員との間に大きな報酬格差が生じている。大企業自体も、いつの間にか驚くべき格差社会となっている。

競争というのは残酷。競争に敗れた大企業社員に待っているのは、出向、派遣、リストラ、早期退職、役職定年、定年、再雇用などなど。大企業の中で「競争こそが資本主義の醍醐味だ」と最後まで言っていられる人は一体何人いるだろうか。