「日本語」日本人として生まれた不幸

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ゴーン氏の逃亡事件のとき、「日本政府はもっと海外に向けて日本の立場をアピールしなければならない」と批判された。しかし、国外逃亡までして「正真正銘の犯罪者」となったゴーン氏の無政府主義的なアジ演説に政府が反論する必要などない。仮に、放っておくわけにもいかないと、「日本語」で反論しても、海外メディアは受け付けてくれないだろう。そう、日本語は世界言語ではないからだ。トランプ大統領が「英語」でツイートすれば、直ちに世界中が反応する。アメリ統領の発言は、世界中のメディアとして見逃すことができないからだ。しかし、それだけではない。トランプ大統領のツイートが英語だから、たちまち拡散されるのだ。今や英語は世界言語。英語を母国語とするアメリカ人の発言は、そのまま世界に飛んでいく。

悔しいが、「言語競争」の舞台では、日本語はガラパゴス化したローカル・ランゲージのまま。今は、まだ日本が世界第三位の経済大国なので、日本への敬意や興味もあり、日本語の有用性が少しは残っている。しかし、これから世界の中での日本の地位が落ちていけば、日本への敬意や興味も薄れ、日本語の有用性は低下していくだろう。

教育の世界では、英語を母国語とする米国と英国に、日本は太刀打ちできない。大学の世界ランキングでも米英の大学が常に上位を占めている。これも英語が世界言語となっている結果だろう。

英語は26文字のアルファベットの組み合わせで構成される表音文字の言語。一方、日本語は表意文字表音文字が混在する複雑な言語。英語は、昔から卓上タイプライターを使って文章を作成できた。コンピュータ、ITAIの時代に入ってからも、わずか26文字のアルファベットで構成される英語は、「かな入力」だ「ローマ字入力」だと、入力からして面倒な上に、漢字変換まで必要な日本語に比べ、「デジタル革命への親和性」が格段に高い言語だ。こうした点からも、英語vs日本語の勝負は既に決している。

おそらく私たち日本人は、これからは英語を使うしかなくなるだろう。もし、どうしても英語圏に入りたくなければ、中国語の傘下に入るくらいか。いずれにしても言語としての日本語は、遅かれ早かれ消滅していく運命。これからの若者は、英語を学ぶしかないだろう。

正直言って、非英語圏の人間にとって、英語の勉強は時間の無駄以外の何物でもない。限られた時間の中で、子供から大人までが英語を勉強するなんて不公平でナンセンスな話だ。なにしろ、ほとんどのアメリカ人は英語しか使えないのに大きな顔をしていられるのだから。そうは言っても、日本人は英語を学習しなければならない。これは「日本人として生まれた不幸」と言えるだろう。こんなことなら、もっと早く、日本経済が全盛期だった1980年代に、教育の場での公用語を英語にしておけばよかった。「日本語と英語のバイリンガル教育」という大胆な改革をしてこなかったツケが回ってきた感じがする。

米国の一流大学院は、英語を武器に積極的に海外の優秀な学生を集めている。一時期の米国の一流大学院は日本のトップクラスの学生であふれかえっていた。国際化が進む世界で英語は必須。理不尽な話だが、日本語ではダメだということを、そろそろ認めなければならない。

思えば、日本人は、なぜ長期間、英語教育を受けても、英語が話せない、書けないのだろう。おそらく、日本人が、英語をアカデミックな学問と考えていることが、根本的な間違いだ。言語は、あくまでもコミュニケーション・ツール。英語教育を受けたか否かにかかわらず、意思の伝達ができればいい。言語の勉強は学問ではない。スポーツや技能の習得のようなもの。それなのに、日本式英語学は、いまだに英文という暗号の解読のための古色蒼然とした学問のまま。そうした日本式英語学の呪縛によって、コミュニケーション・ツールに過ぎない英語を、自由に話せない、書けないという、たくさんの日本人が生み出されてきた。

日本式の英文法も、英文、しかも英米の著名な作家が書いた古典文学の読解のための英文法。現代的なコミュニケーション・ツールとしての英文法ではない。SVOCだのSVOOだの、他動詞だの自動詞だの、定冠詞だの不定冠詞だのどうでもよいことだらけ。そもそも言語というコミュニケーション・ツールに難解な文法などいらない。日本人だって、日本語を話すときに文法のことなど考えていないはずだ。

英文学の世界ならば、よく読んで筆者の意図を深く理解する必要があるかもしれない。しかし、コミュニケーション・ツールとしての英語の世界では、話しただけで、あるいは読んだだけで、お互いの意思が通じ合わなければ意味が無い。コミュニケーション・ツールとしての英語は、文学ではない。もって回った複雑な表現など必要ない。しかも、実際には、文書より会話によるコミュニケーションの方がはるかに多い。会話の中で、一度聞いてわからなければ、相手に問い質せば済むことだ。とにかく分かり易く理解しやすいことが重要だ。

ただし、ビジネスの場で英語が使えるというレベルは違う。CNNBBCを見て理解できるレベル。さらに言うと、ニュースはもちろん、アメリカのテレビ・ドラマやヒストリー・チャンネル、ナショナル・ジオグラッフィク等のドキュメント番組を見て理解できるレベルだ(普通の映画は、会話がほとんどないので、あまりお勧めできない)。

とにかく日本人の場合、英語に接する時間が限られている。本当は、学校教育の中で、英語で、いろいろな科目(人文科学や自然科学など)の授業を受けられれば、英語の語彙を格段に増やせるのだが、いまだに、バイリンガル教育は普及していない。

よく英会話のためには、中学校レベルの英語で十分などと言われる。しかし、それは最低の生存レベルの英語が使えるということであって、ビジネスのレベルでは通用しない。少し考えれば分かること。いくら優秀な人でも、読み書き話す力が中学生レベルでは、通訳がいない限り、ビジネスに係る契約を締結するなんて怖くてできないはずだ。

最後に、英語の独習について一言。正しい英語の発音を身につけるまでは、あまり自分で音読しない方がよい。昔の日本人の多くは、英語の受験勉強のときに、我流の発音が染み付いて、生涯にわたって正しい英語の発音ができなくなることがあった。しかも、正しい英語の発音が身につかないと、ヒアリングにも支障を来す。さらに、ヒアリングができないと語彙も増やせず、表現力もつけられない。結局、一生懸命に勉強しているのに、かえって、英語ができなくなるという負のスパイラルに陥ってしまう。くれぐれもご注意下さい。