業務IT化に逆行する理解不能

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業務IT化の時代に、なぜ社員は毎朝、時間をかけて遠い職場へと通わなければならないのか。そして、なぜ一日の仕事を終えて疲れ切った体で再び遠い自宅へと帰らなければならないのか。そもそも、なぜいつまでも営業や企画、人事や経理など様々な部署の社員が同じ職場で一緒に仕事をしなければならないのか。

昔はトップから末端の社員まで同じ職場で一緒に働くことが効率的だったかもしれない。今のように便利な通信手段など無かったので、フェイスツーフェイスで紙に書いた書類をベースに仕事をしていたからだ。だから会議も情報交換の場として重要な役割を担っていた。

確立されたビジネスモデルを効率よく進めればよかった時代には、トップから末端の社員までが、同じ職場に集まって仲良く仕事をすることに意義があった。しかし、情報通信技術が飛躍的に進歩し、PCやスマホで国内、海外の誰とでも直接会話できるばかりか、作成した書類を一瞬にして相手方に送信できる今、皆が同じ職場で一緒に仕事をしなければならない意義などどこにあるのだろう。仕事の合間に世間話でもして仲間意識を醸成しろということなのか。理解不能である。

情報通信技術の飛躍的な進歩により通信コストは著しく低下した。とりわけインターネットによる情報通信には、ほとんどコストがかからなくなった。日々の業務の中で大量に生み出される様々な成果物も、サーバーやクラウドに保管され、世界中のどこからでも瞬時にアクセスできる現在。なぜトップから末端社員まで、毎日同じ職場に集まって仕事をしなければならないのか。そんな古典的なビジネスモデルのせいで、大企業では、人事異動のたびに何億円もかけて異動に伴う引っ越しや部屋の模様替えを行っている。理解不能である。

能力主義成果主義を貫くならば、上司や部下や同僚が見ていようと、いなかろうとどうでもよいはず。そもそも上司や部下という縦のラインなど本当に必要なのだろうか。

企業では、報告、連絡、相談の「報連相」が重要だと言われている。しかし、「報連相」の相手方である上司や経営陣のスケジュールをとるのに時間がかかりすぎる。「報連相」が業務効率を下げているという現実を認識すべきだ。そもそも、トップダウンで指示が出せないような経営陣などいらないということを。

会議の内容ではなく、「資料の字が小さ過ぎて読めない」とか、「もっと見やすい図や写真を使え」とか、「説明を簡潔にしてもっとわかりやすくしろ」などと、素人相手のテレビの生番組の準備をさせられているような会議がなんと多いことか。ビジネスのプロ同士の会議なのに、なぜ議論の中身の深彫りをしないで、どうでもよいプレゼンテーションという枝葉末節にこだわるのか。しかも、会議の内容については、準備をした者以外にはほとんど無関心。参加した幹部たちの自己アピールのようなどうでもよい意見を散々聞かされたところで、会議体トップによるまとめと称した与太話で会議終了。終了後には、会議の結論が一体何だったかを、参加者全員で、会議体トップの意向を忖度しながら推測する。まさに、何を言っているのかよくわからない「ノストラダムスの預言」の解釈のようだ。しかも、その解釈も、結局は、社内政治に長けた誰かに都合よくねじ曲げられる。業務効率化などどこ吹く風。全く理解不能である。