競争社会

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日本人は大学受験で騒ぎ過ぎる。確かに、大学受験は人生での大きな試練である。しかし、人生における本当の試練は、大学を卒業して実社会に進んでから始まる。それはお金を稼ぐための競争である。ここで「お金を稼ぐ」と言う理由は、資本主義社会では、お金がないと生きていくことができないからである。

資本主義社会では、誰でも自己責任の下で競争に参加できる。競争だから、勝者もいれば敗者もいる。誰にでも成功のチャンスはあるが、勝者が敗者に比べて圧倒的に少ないところに資本主義的競争の醍醐味がある。そして、このあたりが日本人やアメリカ人が資本主義的競争を好む理由のようである。

資本主義は、競争の勝者つまり成功者が高い地位や富を得ることを是とする経済システムである。競争に勝ち残るためには、受験勉強どころではない、長く気の遠くなるような日々を生き抜かなければならない。そこには、受験時代のようにペーパー試験で一発逆転などという幸運はない。毎日が模範解答のない試験のような日々。だから、模範解答に慣れた受験エリートでは、なかなか勝ち残ることができない。そこで問われるのは、表向きには優秀さかもしれないが、人間力や忍耐力に加えて狡猾さや非情で残酷な割り切りも必要。ひたすら勉強に打ち込んできた受験エリートにとって、医師になるか国家公務員試験や司法試験に合格してキャリアの道を進む方が能力を発揮できるかもしれない。

受験エリートが一流大学を出て、一流企業に就職するのは、実はあまりいい選択とは思えない。どのような大企業だろうと、所詮はノンキャリア採用。新入社員は横一線で、毎日サバイバル競争を戦っていくことになる。同期入社といっても、同じように昇進できる期間はごくわずか。すぐに昇進に大きな差が生じてくる。そうした競争も40代になる頃には、ほぼ勝敗が決する。一握りの勝者と大多数の敗者。しかも、その勝者は必ずしも学力的エリートではなく、社内政治に長けた気遣いと人柄が取り柄のような、エリートを自認する者とは相容れない凡俗であることも多い。

ただし、そうした勝者も、勝ち残るために、ほとんどの時間を会社に捧げ、理不尽な上司に取り入り、同僚や部下に気を遣い、心と体を消耗させた挙げ句、自らの幸福や健康を犠牲にしてきたことを後悔することになる。

そうは言っても、これまでの世代は、まだ幸せだった。受験戦争を勝ち抜き学歴を身につけて大企業に入り、与えられた仕事に全てを捧げれば、その中で、やりがいや生きがいを見出せた。たとえ競争に勝ち残れなくとも、年功序列で安定した報酬とそれなりのポジションも保証された。

しかし、これからは大企業に入って、労働を提供し対価を得るだけの、今までのような古典的サラリーマンでは、組織の歯車かAIの奴隷になる他に選択の余地はなくなるだろう。