アメリカの大学に関する都市伝説的な誤解【1】

f:id:TimeTraveler:20190521103350j:plain

なぜか日本には、アメリカの大学に関して、次のような都市伝説的な誤解がある。

(1)アメリカの大学は、入るのは易しいが、卒業するのは難しい。

(2)アメリカでは、どの大学を卒業したかなど、あまり重要ではない。

この都市伝説の由来として、次のようなことが考えられる。

昔、はるばる日本にまで来てビジネスをしようというアメリカ人には、大卒と言っても、アイビーリーグのような一流大学卒などあまりいなかったからだろう。

アメリカの一流大学は、今も昔も「入るのも出るのも難しい」。しかし、州立大学やコミュニティカレッジの中には、ほとんど無試験で入学できるところもあり、当然のことながら、入学者のレベルは低く、卒業できない人も多い。だから、頑張って卒業できたアメリカ人が、アメリカの大学事情を知らない日本人の前で、「アメリカの大学は、入るのは易しいが、卒業するのは難しい」と言って自慢したのだろう。自分が卒業した大学に限った個別の事情を、あたかもアメリカの全ての大学に共通する事情のように誤解させたことに由来する都市伝説だ。

このように、日本に来たアメリカ人に一流大学卒がいなかったので、彼ら、彼女らの口から、「アメリカでは、どの大学を卒業したかなど、あまり重要ではない」という自己肯定的な詭弁まで出てきたのだろう。しかも、昔、日本からアメリカに留学した人の多くも、レベルの高い大学に入れなかったので、その言い訳として都合の良い「アメリカでは、どの大学を卒業したかなど、あまり重要ではない」という自己肯定的な詭弁が拡散したのだろう。誰だって「アメリカの大学にはランクがあり、私が卒業した大学はFランクだった」などと自己否定的な事実を言うはずはないのだから。とにかく昔は、アメリカに留学したというだけで凄いと驚かれた。どこの大学を卒業したかなんて詮索されることなどなかった。なにしろ、当時の日本人でアメリカの大学名を知っている者などいなかったからだ。このあたりが「どの大学を卒業したかなど、あまり重要ではない」という都市伝説のルーツだろう。

今でも日本では、留学したと言っても、私立のアイビーリーグスタンフォード、MIT、州立のバークレイやミシガンなどの一流大学や大学院を卒業した人は少ない。しかも、そうした人は、巨大企業や中央官庁、学者や国際弁護士などという特殊な世界の住人。日常、接する機会はほとんど無い。そんな訳で、一般人には、アメリカの大学に関する諸事情を知るすべが無く、いつまで経っても、アメリカの大学に関する都市伝説的な誤解が放置されてきたようだ。

アメリカでは、一流大学への入学準備は、子供がプライマリースクール(小学校)に上がる前から始まる。なにしろ一流大学のハードルが高いからだ。アメリカは、日本以上の学歴、学校歴社会。大学、大学院はランキングされ、どこの大学、大学院を卒業したかで、就職先や初任給にまで差がつくばかりか、その後の出世にも影響する。

ランキングのトップクラスの大学に合格するには、共通学力試験であるSAT、ACTでの高得点に加え、学業成績であるGPAでストレートAに当たる4.0にいかに近づけるかが争われる。その上、スポーツ、芸術、学内外での様々な活動や有力者の推薦など、志願者のオールラウンドな資質が問われる。まさに、日本の大企業への就職と同様。学業ばかりでなく、学業以外のいろいろな活動や、文化、芸術への興味、いかに充実した生活を送ってきたかという自己アピールも重要。結局、全人格的評価の結果、全ての面においてマイナスのない志願者でないと一流大学には合格できない。というのも、アイビーリーグスタンフォード、MITのような、私立のトップクラスの大学の入学者数が、日本の大学とは比較にならないほど少数だからだ。

とにかく、アメリカの入試制度は、共通学力試験プラスAO入試なので、学力、内申、人物、社会貢献度、一芸などの幅広いポテンシャルを持っていないと合格できない。このため、日本のようにペーパー試験で一発逆転というわけにいかないばかりか、浪人をして捲土重来を期すこともできない。こうした点では、日本より残酷な制度とも言える。