知能指数(IQ)

f:id:TimeTraveler:20100101000000j:plain

昔は、中学のときに、「知能検査」と「職業適性検査」があった。当時、教師が「知能指数IQ)が140以上を天才というのだ」と言っていた。実は、私がそうだった。IQのせいか、職業適性検査では、不適性な職業無しという結果だったことを覚えている。

IQ140以上と言っても、進学高校に入った瞬間に、成績が下がる例など、いくらでもあるようで、私も、入試では4番で(A、B、C、Dの順で)Dクラスになったのだが、入学早々の実力試験で順位が下がって、ひどく落ち込んだ。

高校までは、あまり勉強をしていなかった。そう、ガリ勉とは真逆だった。ところが、高校では、そうはいかない。頭がいい奴ばかりだからだ。そこで悟った。そもそも、IQが高いということは、足が速いということと同じようなもので、人間としての出発点に過ぎないことを。それをいかに伸ばすかが、重要なことだということを。

おそらく、昔、社会全体の教育水準があまり高くなかった頃は、IQが高いというだけで、そこそこ優れてみえたのだろう。しかし、現在の社会や教育の仕組みの中では、IQが高いだけでは、勝負にならない。努力する人間には勝てないのである。

私が卒業したコーネル大学の大学院は、世界中からトップレベルの学生を集めている。IQは高くて当たり前の世界。しかし、そうしたIQの高い人間が、起きている時間のほとんどを勉強に捧げ、自己研鑽に励み、互いに切磋琢磨している姿を見て、自己管理をして真摯に努力する能力は、IQに勝るということを思い知った。そうした集団の中で勝ち残り、さらに、上の集団へと進んで行く中で、最後まで天才と言われるレベルの人間こそが、本物の天才ということだろう。IQのスコアしか売りのない人間が天才なんて、おこがましい話だ。

そもそも、IQのスコアしか取り柄がないということでは、どこかの国の「白人至上主義者」と同じではないか。