国民が夢や生きがいを持てる日本に変革して欲しい

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一人一人の国民の努力の結果、経済大国となった日本。その国民が担ぐ神輿に乗るだけの政治家。彼ら、彼女らが「一流国家日本」を創り出したわけではない。政治の怠慢で、いつまでも、国民の幸福や夢をないがしろにしていると、いつ何時、国民が気力を失い、我慢の臨界点を超えて、自暴自棄になるかわからない。もし、そうなったら。そこに待つのは、破壊と騒乱、無政府状態と化した日本だ。今の日本で、そんなことは起こりえないという人ばかりかもしれない。私も、そうあって欲しい。しかし、油断は禁物。

科学技術の進歩で、グローバル化し、飛躍的に発展してきた世界。ところが、21世紀に入ったあたりから、宗教的あるいは民族的バイアスや、人種、階級、格差などの影響を強く受けるようになった。そのうえに、自然環境の激変や感染症の蔓延。この世界は、歴史的シンギュラリティを迎えたのかもしれない。

これからの日本(世界も同じ)に、薔薇色の未来は無い。今の私たちに想像できるより、さらに悪い未来。バブル崩壊後の日本が、まさに、そうした未来の連続だった。そんな、未来に向かう新内閣が、私たち国民の願いをかなえてくれることを切に祈る。

この国では、選挙権を持つ有権者が、主権者であり「権力者」。だが、それは形だけの政治的レトリックに過ぎない。本当の権力者は、内閣総理大臣以下の閣僚。どんなに高学歴で優秀なエリートでも、国会議員になれなければ、閣僚にはなれない。民間人登用という例外を除けば。しかも、その閣僚は、概ね世襲議員。それは至極当然。若くして、親の「地盤」、「看板」、「鞄」を引き継ぎ、「キャリア国会議員」になる世襲議員と、自力で這い上がる「ノンキャリア国会議員」とでは、スタートラインが全く違うからだ。

「行政の縦割り打破」と言う前に、キャリア国会議員からしか、内閣総理大臣や閣僚になれない、時代錯誤の政治を変革しない限り、「一流国家に相応しい民主政治」なんて期待できない。

国家議員たちは、いつまで、国民をないがしろにして、国会という狭い世界の中で「人事や権力闘争という、自分たちだけしか味わえない快感」に浸っているつもりなのだろう。閣僚や国家議員だけの、国民不在の権力闘争からは、何も生まれない。国を変える力を持つのは、一人一人の国民なのだから。

いつまでも、国民が政治に無関心のままでは、日本に、明るい未来は無い。「菅首相」、新内閣ができた今こそ、国民が、夢や生きがいを持てる日本に変革して欲しい。