資本主義の敗者には 自由と民主主義なんて無縁だ 彼ら彼女らは「自由のために 戦う」という言葉が 実は「為政者とエスタブリッシュメントの自由のために 戦わされている」という言葉だと分かっているのだろうか

ロシアのウクライナ侵攻で、よく分かった。

この世界で、自由を謳歌できるのは、米中露の軍事大国の為政者とエスタブリッシュメント(支配層)たちだけのようだ

結局、強い国家が弱い国家を蹂躙しても、それに対して弱い国家がいくら集まって、制裁や抗議をしても、全く無力だということなのだろう。

弱い国家の国民や、強い国家であっても、被支配層の人間は、日々、生存限界の中で、為政者や支配層から、忠誠心を試すための「踏み絵」を強いられているようなものだ。

しかもこの「踏み絵」、万一、踏み間違えたりすると、ギリギリの生存限界からも排除されかねない恐ろしい「踏み絵」。

そもそも民主主義なんて、所詮は「被支配層の人間の鬱屈した不満」というガスを抜くための「仕組み」に過ぎない。民主主義の売りである国民主権というフェイク。

世界の被支配層の人たちは、「自由のために戦う」という言葉が、実は「為政者と支配層の自由のために、戦わされている」という言葉だと、本当に分かっているのだろうか。

資本主義が全てのイデオロギーを駆逐して、その頂点に立った現在、自由と民主主義を謳歌しているのは、「資本主義の勝者」だけ。

大多数の「資本主義の敗者たち」には、自由や民主主義なんて無縁。

若者に言いたい。

国や企業や組織の中で、勝ち上がっていかない限り、自由なんて得られないということを。

自由主義国家と言ったって、被支配層に甘んじていては、いつまでも自由なんて謳歌できないということを。

アメリカだろうが、中国だろうが、ロシアだろうが、資本主義の勝者にとっては天国だが、敗者にとっては地獄だという事実を認めない限り、自由への道を切り開くことはできないということを。