会社人生はドラマチックだ

高校時代は理系進学を目指していたが、紆余曲折の末、中央大学の法学部に入ることになった。大学受験は想定外の結果となった。

大学では挽回すべく、就職と司法試験に向けて、受験時代そのままのペースで勉強。
司法試験には在学中に合格できなかったが、就職の方は軒並み内定。
最終的に鉄鋼会社2社のどちらかに行くことにした。当時の鉄鋼会社は世界トップクラスの巨大企業、皇居周辺の高層ビルが本社。

私大出身と言うこともあって、東大閥で有名な会社は辞退して「日本鋼管」に入社したが、東大を含め旧帝国大学が多くあまり大差無かった。

しかし、日本鋼管はいい会社だった。

入社式では新入社員総代として答辞を読んだ。
入社5年目から2年間のアメリカ留学。
コーネル大学ロースクール修士号1年で取れたので「帰国しなければならないか」問い合わせたところ、「留学期間は2年なので好きにしてよい」と言うことだった。

それで、2年目はニューヨーク大学ロースクール修士号を取ることができた。鷹揚ないい会社だった。

今考えると、当時「日本鋼管」は、アメリカの鉄鋼メーカー「ナショナルスチール」を買収しようとしていたから、「アメリカ要員」が必要だったのだろう。

日本国内での鋼材需要は頭打ちで、頼みの綱の海外も、アメリカでは「アンチ・ダンピング」などの通商法による輸入規制の嵐だった。

そうした状況を打開するための、窮余の一策としてのナショナルスチール買収。しかし、衰退するアメリカ鉄鋼メーカーの買収という経済合理性のないM&Aは失敗に終わった。

当時、日本企業によるアメリカでのM&Aのほとんどが失敗に終わっている。
結局、日本は Japan As Number One などとおだてられて、アメリカ経済再建のために、いいように利用されただけだった。アメリカは実に賢い国家なのだ。

長い間、業績不振が続いていたナショナルスチールに残されていたのは「負の遺産」ばかり。縁もゆかりも無いナショナルスチール再建のために、金をむしり取られたのだ。

一矢報いたとしたら、ナショナルスチールのニューヨーク証券取引所への「再上場」が成功し、「上場益」を得ることができたことくらい。
私も、この「再上場プロジェクト」に参画し、ニューヨーク証券取引所での交渉やセレモニーなど、得がたい経験を積むことができた。

M&Aは、被買収企業を、そのまま買い取ることができるスピーディで便利な手法。
成功すれば「あっという間に」買収企業の業容を拡大できる。
しかし、失敗すれば、買収企業の存続を脅かす「両刃の剣」。

それこそがM&Aの醍醐味と言えるが、安易に手を出すと火傷をするどころか、命取りになりかねないリスキイなビジネス手法である。