誰かを助けるために戦争を始めておきながら 助けた人より はるかに多くの犠牲を出すのが戦争 とくに 人類が核兵器を手にしている今 人類は絶滅するかもしれないのに なぜ戦争を放棄できないのか 残念だ
ロシアのウクライナ侵攻や、台湾に係るアメリカと中国の一触即発の状況を見ていて、両親のことを思い出した。
大正時代に生まれ、昭和、平成と生き抜いた両親。
日本がまだ発展途上国で貧しかった時代を、必死に駆け抜けた両親のことを思い出した。
時代に翻弄され、個人としての夢や希望など到底持てなかった時代。青春は戦争一色。
父は戦場で死線を彷徨った。
母も空襲の中、東京で生き抜いた。
父は、インドネシアのパレンバンに向かう途中、乗っていた貨物船が、アメリカ軍の魚雷攻撃を受け撃沈されたが、九死に一生を得た。
母は、アメリカ軍の爆撃と機銃掃射の中を生き延びた。
私は、そうした話を聞かされていたのに、上の空だった。
私の人生と比べると、あまりにもかけ離れた人生だったからだ。
国家の指導部やそれに組する上級国民の面子や都合のために、想像を絶する苦労と辛酸を嘗めさせられた両親。
それなのに、運命を正面から受け止め、黙々と働き、自分たちの力で家庭を作り、子育てをした。
その努力と忍耐に畏敬の念を抱かざるを得ない。
第二次世界大戦後の焼け野原から、今の日本を創り上げたのは、私の両親のような名も無き日本人の努力と忍耐の賜だ。
その名も無き日本人の成果をかすめ取った政治家たちの手柄などでは決してない。この国を不幸のどん底に陥れたのは、政治家たちだったのだから。
皮肉な話だが、私は、父と母を殺そうとしたアメリカに留学した。
こんな言い方をすると身も蓋もないが、なぜか両親はアメリカに対して敵意を持っていなかった。
それで、私もアメリカについては好意しか持っていない。
私が卒業したコーネル大学には、第二次世界大戦で戦死した卒業生の名前が刻まれた碑がある。
それを見たとき、私の両親と同世代のアメリカ人も、とても辛い思いをしたのだろうと心を打たれた。
戦争は何も生み出さない。いくら相手国を許せないからと言って、戦争をする理由がどこにあるのか。
誰かを助けるために戦争を始めておきながら、助けた人より、はるかに多くの犠牲を出すのが戦争。
特に、人類が核兵器を手にしている現在、多くの犠牲どころではない。人類が絶滅するかもしれないのだ。
なぜ人間は戦争を放棄できないのか。絶望的な愚かさだ。