日本では 失われた30年間に「政治」が強くなり過ぎた そのせいで 日本を日本たらしめた「経済」が衰退してしまった

最近、日本の政治家やメディアは、「自由と民主主義という価値観を共有する西側諸国」という言い方を好んで使う。

西側諸国だからと言って、全ての国民に等しく平等な「自由と民主主義」なんて、どこにもないのに、今さらなぜそんなことを言い始めたのか。

イデオロギーに寛容なところが西側諸国の売りだった。

それなのに、いつの間にか「自由と民主主義」という西側諸国のイデオロギーを、敵味方を区別するための「踏み絵」にしてしまった。

そもそも、日本を見れば分かることだが、「自由と民主主義」を謳歌するためには、名家に生まれて政治家になるか、「資本主義」の醍醐味と言われる「競争」に勝ち残って経営者にでもならなければ無理な話。

いや、それどころか、現実はもっと過酷。

名家に生まれなければ、政治家どころか経営者にも何者にもなれなくなってきている。

そのせいか、日本はいつの間にか「格差社会」、「階級社会」になってしまった。

よく考えてみれば、本当は昔からそうだったのだが、昔の日本は何もかもが右肩上がりだったので、今ほど格差や階級を意識しないですんだだけだったのかもしれない。

思えば、日本では、失われた30年間に「政治」が強くなり過ぎた。

そのせいで、日本を日本たらしめた「経済」が衰退してしまった。

しかも、最早、取り返しのつかないくらいに。

国家と国民の仲介をナリワイとする政治家はクロコ。ハッキリ言って「真の自由と民主主義の国家」になれば不要なはず。

それなのに、そんなクロコが権力を握って離そうとしない。困ったことだ。

さらに困るのは、そんな政治家にかぎって「独裁者化」することだ。

自分に反対する者、批判する者を許す寛容さが無くなる。

権力が人を変えてしまうからだ。

「人間だからしょうがない」ではすまない問題。

政治家に定年制を導入しておけば、安倍元首相の悲劇は防げたかもしれない。