「安倍元首相銃撃」 羨ましい限りの恵まれた人生を歩む人と 打ちひしがれた人生を歩まされた人の接点が「和やかな握手」だったらと思わずにはいられない

安倍元首相が亡くなったことへの政治家やメディアの反応を見ていて感じた。

日本は、いつの間にか、特権階級の方たちの国になってしまったのではないかと。

政治家もメディアも、安倍元首相のお友達や知人として、縁故の深さを誇るようなコメントが多く、縁故社会、縁故政治がここまで来たのかと驚くばかりだ。

これも、平和が長く続いたおかげなので、文句を言う筋合いではないが。

そうは言っても、安倍元首相が亡くなったことを悼む庶民の方々の反応とは違うものを感じた。

今や日本の主役は「国民」ではなく、「民主主義」と言う仕組みを利用してのし上がった「特権階級」の方々。

そんな「特権階級」の方々を選ぶための「選挙」に行きたいと思う国民は、あまり多くないのではないか。

投票率の低さがそれを物語っている。

安倍元首相の功績を振り返る報道を見ていて感じたことがある。

安倍元首相ような名家に生まれて「特権階級」への道を真っしぐらに歩める、類い稀な幸運に恵まれた人にとって、この国は「自由と民主主義」に満ち溢れているように見えるのではないかと。

安倍元首相にとっては「美しい国、日本」と言うのは、素直な表現だったのだろう。

羨ましい限りの恵まれた人生を歩む人と、打ちひしがれた人生を歩まされた人の接点が、「和やかな握手」だったらと思わずにはいられない。

人生は悲しいほどに不条理で不平等。

「政治」にそれを変える力が無くなると、この国は取り返しのつかないことになる。