「国家や言語の呪縛から如何に逃れるか」それが日本人の宿命だ

日本の高校から直接アメリカの大学に入るというルートが持て囃されている。

当然だろう。ロシアのウクライナ侵攻を見ていれば分かる。生まれた国に呪縛されていたら、命まで失いかねないからだ。

ウクライナの人たちも「自由と民主主義」を、国や政治家や軍人任せにしたせいで、「自由と民主主義」の代償に命まで差し出さなければならなくなった。あまりに理不尽だ。

そんなウクライナと同じ地球上の「自由と民主主義」の元祖とも言えるアメリカでは、自由を謳歌して巨万の富を築いている人間がたくさんいるというのに。

全く不条理な世界だ。

生まれた国がウクライナか、アメリカかの違いだけで、人生や生死まで国家に左右される。残酷だ。

生まれた国でいくら頑張ったところで、ロシア人やウクライナ人とアメリカ人とでは、人生に格差があり過ぎる。

能力がある人は、生まれた国にこだわらずに、アメリカに行くべきだ。

最近の日本のノーベル賞受賞者を見ていても、それを感じる。

日本の理不尽な研究環境に見切りを付け、日本を捨てて、アメリカで研究を続けた結果、ノーベル賞を受賞した研究者が目立つからだ。

学問の世界では最早、日本の大学で学んでも世界では通用しなくなってしまった。

その原因は、ガラパゴス言語となってしまった日本語のせいでもある。

もし、第二次世界大戦後、GHQが強引にでも、日本の母国語を英語に変えてくれていたらと思うと、残念でしょうがない。

今頃、京大や東大は、世界大学ランキングのトップテンの常連だっただろう。

もしかしたら、日本経済も右肩上がりが続き、本当にJapan as Number Oneになっていたかもしれない。

「国家や言語の呪縛から如何に逃れるか」それが今の日本人が先ず考えるべき命題だ。

特に若者は、日本にこだわっていたら未来はないだろう。