今の日本に必要な「最大の政治改革は多過ぎる議員のリストラ」ではないか。
政党という組織のせいで、国民の代表であるべき政治家が、党内での出世ばかりを目指すサラリーマンに成り下がってしまった。
政党という組織の言いなりで自分の意見すら言えない政治家なんて、何人いたところで意味がないだろう。
最近のこの国の政治家と裏金に係る報道を見ていると絶望感を抱かざるを得ない。
この国の民主主義と言うのは、国民が、自分たちの代表を選ぶための制度とは思えないからだ。
この国の民主主義は、利権団体が、自分たちに都合のいい代表を議会に送り込むための制度に過ぎないのではないかという絶望感。
おそらく選挙の投票率がもっと高ければ、そして選挙運動に金や労力がかからなければ、利権団体の力など無力化できるはずなのに。
なぜ、多くの国民が選挙に行かないのだろう。
そんなことを今さら言っても後の祭りか。
政治権力という既得権益を持つ政治家にとっては、低い投票率と、選挙運動に金や労力がかかる方が好都合なのかもしれない。
だから、政治家は、民主主義の根幹である選挙制度の欠陥を改革しようとしないのだろう。
自分たちが独占し享受している利権を守るためには、簡単に新参者に入ってこられては、自分たちの政治家という家業が成り立たなくなってしまうからとしか思えない。
私たちは、これまで民主主義イコール「政党政治」だと刷り込まれてきた。
そのせいで「政党政治」の意義をあまり考えてこなかった。
確かにイデオロギーの対立が激しかった古典的な民主主義の時代には、政治家がイデオロギーを共有できる仲間たちと団結することに意義があったかもしれない。
しかし、現在のように、イデオロギーの対立より、むしろ国民の声や願いを正しく政治に反映させることの方が重要な時代には、政党という政治家の団体など必要だろうか。
なまじ政党などという会社のような組織があるから、国民の代表であるはずの政治家が、政党というピラミッド組織の中で、立身出世のためにサラリーマンのようになってしまっている。
政党という組織に埋没して、ボスの言いなりになるような政治家なんて、何人いても全く無駄だろう。
しかも、その政党も、政治家の集団としての矜持を持たず、政党をサポートしてくれる利権団体の言いなりでは、どうしようもない。
この際「自由と民主主義」とか「法の支配」とかキレイゴトを唱えるしか能の無い政治家先生方を、総入れ替えしないと、この国の政治は改革できないだろう。
「どこを切っても金太郎飴」のような政治家ばかりになってしまったこの国にとっての最大の政治改革は議員のリストラしかない。