この国の政治家と統一教会に係る報道を見ていて絶望感を抱いた。
この国の民主主義と言うのは、国民が、自分たちの代表を選ぶための制度ではなかったようだ。
民主主義なんて所詮、利権団体が、自分たちに都合のいい代表を、議会に送り込むのに丁度いい制度に過ぎなかったのかもしれない。
おそらく、投票率がもっと高ければ、そして、選挙運動に金や労力がかからなければ、利権団体の力など無力化できたはずなのに。
今さら言っても後の祭りか。
政治権力という既得権益を持つ政治集団にとって、低い投票率と、選挙運動に金や労力がかかる方が好都合なのだろう。
だから、政治家は、民主主義の根幹である選挙制度の欠陥を改革しようともしない。
それはそうだろう。
自分たちが利権を享受している政治家ギルドに、簡単によそ者が入ってこられるようになったら、自分たちの政治家という家業が成り立たなくなってしまうからだ。
私たちは、これまで民主主義イコール「政党政治」だと刷り込まれてきた。
そのせいで「政党政治」の意義をあまり考えてこなかった。
確かに、イデオロギーの対立が激しかった古典的な民主主義の時代には、政治家がイデオロギーを共有できる仲間たちと団結することに意義があった。
しかし、現在のように、イデオロギーの対立より、むしろ国民の声や願いを正しく政治に反映させることの方が重要な時代には、最早、政党という政治家の団体など必要ないのかもしれない。
なまじ政党などという会社のような組織があるから、国民の代表であるはずの政治家が、政党というピラミッドの中で、出世を目指すだけのサラリーマンになってしまう。
政党という組織に埋没して、ボスの言いなりになるような政治家なんて、何人いても無駄で無意味だろう。
しかも、その政党も、政治家の集団としての矜持すら持たず、政党をサポートしてくれる利権団体の言いなりでは、どうしようもない。
この際「自由と民主主義」とか「政治の力」と唱えるしか能の無い政治家先生方を、総入れ替えするくらいしないと、この国の政治は改革できない。