ノーベル平和賞受賞を、心から喜びたいのに、世界は平和とは反対の方向へ進んでいる。
戦国時代の様相を呈してきたこの世界を見ると、残念ながら、日本の防衛力を強化せざるを得ないのだろう。
他の選択肢が描けない、残酷な時代になってしまった。
ロシアやイスラエルの戦争を外交で終わらせることができない現状を見れば、軍事力には軍事力でしか対抗できないことは明白だ。
しかもその軍事力も、核兵器でなければ抑止力足り得ないことが明白になってしまった。
抑止力である核を持たない日本が、いつまでも西側諸国に追従し、中国、ロシアなどを仮想敵国と名指しするような国家防衛戦略では日本の滅亡をもたらしかねない。
今のままでは、極東における西側諸国の「防人」になるだけ。
ウクライナの二の舞になりかねない。
それどころか、最大の貿易相手国の中国や隣国の資源大国ロシアを仮想敵国扱いにして、西側諸国にだけに依存していたら、日本経済は崩壊しかねない。
経済の面では、アメリカ人から「エコノミックアニマル」と馬鹿にされていた昔に戻って、もっと功利的に立ち回るべきだ。
そのためにも、日本の軍事的自立が必要。
合従連衡が常となり、一寸先は闇となったこの世界では、強くならない限り、ウクライナのように踏み躙られる。
戦争をしたくなければ、この国の平和を守りたければ、自力で守るための防衛力強化が必要だ。
日本国憲法的に言えば、正義と秩序を基調とする国際平和のために防衛力を強化するということになる。
日本国憲法の精神を具現化する素晴らしい理由だ。
詭弁かもしれないが、日本国憲法第9条の下でも、世界平和のための戦争は否定されていない。
大国のエゴで役に立たなくなったが、国連軍と言うものがあり、それに参加できるはずだからだ。
憲法9条では、国際紛争を解決する手段としての戦争を放棄すると定めている。
だから国際紛争解決のための戦争は違憲。
しかし、世界平和のための戦争は合憲。
極端な言い方をすれば、戦国時代の様相を呈してきたこの世界を、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求する日本国が統一して、世界中に憲法9条の精神をゆきわたらせる。
そのような世界平和のための「天下布武」の戦争は合憲。
酷い解釈だが、その位の覚悟が必要な時代になってきたのだ。
世界平和を目指す日本が、「戦争放棄」をするためには、日本とは絶対に戦争ができないと認識させるレベルの軍事力が必要だ。
本当に、いやな時代だが、最早「是非に及ばず」と言うことだろう。