統一教会と政治家の癒着を見ていると、この国の民主主義なんて、所詮既得権益や利権団体のための民主主義だと言うことが、あらためてよく分かった。
思えば、既得権益や利権団体の推薦を受けたプロ政治家や世襲政治家ばかりが跋扈するこの国には、昔から今に至るまで、国民の代表と言える政治家なんていなかったのかもしれない。
昔から政治家は悪いことばかりしていたが、昔の政治家は、日本国の主役面はしていなかった。
悪いことは、国民から隠れてこっそりとやっていた。開き直るなんてことも無かった。
国民の方も、「縁故」ばかりがまかり通る、「共産主義」や「社会主義」国家のような形だけの民主主義で選ばれた政治家なんて信用していなかったと思う。
そもそも日本人は、太平洋戦争の敗戦後、政治家というものを全く信用しなくなった。
日本国の主役は、この国を支えている自分たちだと分かったからだ。
そのおかげで、この国は、奇跡の復活を成し遂げた。
思い出して欲しい。
この国が成長していた時代、「政治は必要悪」に過ぎなかったことを。
「民主主義」なんて、憲法や法律に書かれているからしょうがないと言うくらいの位置付けでしかなかった。
だから、政治家になりたいなんて言ったら、家族から反対され、変わり者扱いだった。
たまたま「家業政治」の家に生まれた、一般社会では使い物にならないような連中が、親がかりで政治家になっていたくらいだろう。
そんな連中が、「民主主義国家」故に、憲法や法律が、政治家に都合良く作られていることを利用して、いつの間にか、この国を支配してしまった。
彼ら彼女らの口癖は「政治の力」。
冗談じゃない。
資本主義国家の日本で、経済的価値を何も生み出さずに、国民が作った経済的価値を縁故者に勝手に分配する政治家なんていらないだろう。
いつの間にか、この国の民主主義は、独裁国家や専制国家の民主主義と変わらなくなっていたようだ。