ゴーン氏の失敗

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大企業のCEOは、高層ビルの最上階の広く快適なオフィスで、下界を見下ろしながらの仕事。パリやニューヨークなどでの、豪華な会議、パーティ。当然、海外出張はファーストクラス、ホテルは最高級。日本中、世界中どこにでも支社、支店、現地法人があり、そこでは常に最高待遇。潤沢な経費、交際費のおかげで、自腹を切らずに、最高級店での飲食。ビジネス業界では、日本中、世界中、名刺を見せるだけでVIP待遇。家族、親戚、友人、ご近所からの尊敬などなど。

CEOは、大企業という全体主義社会の独裁者。利益追求のためなら、法令に違反しない限り何でもできる。役員、従業員の生殺与奪の力を持つ神のごとき存在。しかし、その強大な力ゆえに陰謀やクーデターの対象となるのはあたりまえ。日産CEOであったゴーン氏もそういう世界を生きてきたはず。

ゴーン氏の場合は、自らの行為に起因して刑事責任の嫌疑がかけられたのだか、今さら陰謀だ、クーデターだなどという主張は片腹痛い。CEOは、結果責任を負うことが最大の職務。結果責任とは、自らが直接、関与していないことについても責任を負うということ。

ゴーン氏は、自らの行為とその結果に真摯に向き合おうともせずに逃亡した。これまでメディアは、ゴーン氏を国際的経営者と褒め称え、彼自身もそれを自認していた。しかし、ゴーン氏が国際的経営者ならば、司法制度が国により異なることなど知っていて当然。優れた国際的経営者は、国による法制度の相違を利用して利益を上げているのだから。

思えば、ゴーン氏自身、外国人CEOという立場を存分に利用して辣腕を振ってきた。彼は、日産の再生の中でたくさんの従業員をリストラした。その人々にとって「リストラ」とは、ゴーン氏風に誇張して言えば「虐殺」。たくさんの人々を虐殺したCEOが、今さら陰謀だ、クーデターだなどとよく言えたものだ。

日本でも、いつの頃からか、企業は利益さえ出せばよく、その方法は問わないという残酷かつ強欲な資本主義がまかり通っている。経営者は法令に違反しない限り、利益を上げるためなら何をしてもかまわない。アメリカンドリームなどという牧歌的な資本主義は消え去り、今や強欲資本主義の時代を迎えた。

大企業は、ゴーン氏のような策士たちの戦場。戦いに勝ち、より強大な力を持つために、皆、必死に戦い続けている。陰謀やクーデターなど日常茶飯事、だからこそコンプライアンスが必要なのだ。

今回の事件、ゴーン氏はレバノンへ逃亡せずに、日本の司法の場で最後まで争うべきだったのではないか。彼にかかった嫌疑からみても、おそらく執行猶予の付いた判決になっただろう。執行猶予判決が確定したところで、フランス政府や海外メディアを使って、日本の司法や法律のガラパゴス性、日産の日本人経営陣による陰謀やクーデターだったと批判し、グローバルスタンダードの世界ならば無罪だったと主張すればよかった。

そうは言っても、日産という上場会社での特別背任、金融商品取引法違反がらみの刑事事件。当然、民事での損害賠償請求訴訟や株主代表訴訟のリスクもある。しかし、日本の裁判所の場合、損害の認定や損害賠償額の算定は、極めて精緻に行われるので、仮に民事訴訟で敗訴しても、判決で下される賠償金の額は、今回の逃亡劇でかかった費用を超えることは絶対に無いはず。ゴーン氏にとっては痛くも痒くもない金額だ。

今回の逃亡劇を見る限り、名経営者ゴーン氏でも、会社法金融商品取引法違反に関わる経済事件への対応については、素人だったと言わざるを得ない。後々、後悔することになるのではないか。