2020年の今 私たちは何をなすべきか

f:id:TimeTraveler:20190522115215j:plain

 

コロナの中で生きている毎日。ふと、両親のことを思い出した。大正時代に生まれ、昭和、平成と生き抜いた両親。日本がまだ発展途上国で貧しかった時代を必死に生きた両親のことを。時代に翻弄され、貧しさの中、個人としての夢や希望など到底持てなかった。青春は戦争。父は戦場で死線を彷徨った。母も空襲の中、東京で一人生き抜いた。父は、インドネシアパレンバンに向かう途中、乗っていた貨物船がアメリカ軍の魚雷攻撃を受けて撃沈されたが、九死に一生を得た。母は、アメリカ軍の爆撃と機銃掃射の中を生き延びた。私は、そうした話を聞かされていたのに上の空だった。私の人生と比べると、想像もできない人生だったからだ。

国家の指導部やそれに組する上級国民の面子や都合のために、想像を絶する苦労と辛酸を嘗めさせられた両親。それなのに運命を正面から受け止め、裸一貫、自分たちの力で家庭を作り子育てをした。その努力と忍耐に畏敬の念を抱かざるを得ない。第二次世界大戦の焼け野が原から、今の日本を創り上げたのは、私の両親のような名も無き日本人の努力と忍耐の賜だ。名も無き日本人の成果をかすめ取った政治家や官僚の手柄などでは決してない。

皮肉な話だが、私は父と母を殺そうとしたアメリカに留学した。こんな言い方をすると身も蓋もないが、なぜか両親はアメリカに対して敵意を持っていなかった。それで、私もアメリカについては好意しか持っていない。私が卒業したコーネル大学には、第二次世界大戦で戦死した卒業生の名前が刻まれた碑がある。それを見たとき、私の両親と同世代のアメリカ人も、とても辛い思いをしたのだろうと涙した。

コロナの現代に戻ろう。素晴らしい科学文明を創り出した人類も、所詮は生物。隕石の衝突で絶滅した恐竜と同じ。未だ、地球規模のディザスター(災害)やパンデミックを回避するには至っていない。これまでの知識や経験だけでは到底抗えないコロナに立ち向かわなければならない今、私たちにできることは一体何だろう。

本来ならば国家と国民が一丸となってコロナに立ち向かわなければないときに、国民の足を引っ張る「政府」。しかし、当てにならない「政府」が悪い、「政治」が機能していないなどと言ったところで何も解決しない。

一部の政治評論家は、コロナへの対応には「政治判断が必要だ」などと戯れ言を言っているが、文系学部卒の「サイエンス拒否男的」世襲政治家の「政治判断」なんて、悪夢以外の何者でもない(どこかで聞いたセリフみたい)。

役に立たない「政治判断」など放っておいて、私たち名も無き国民一人一人が、今こそコロナに立ち向かわなければならない。私たちが心の中にしまってきた、よりよい日本を創り出そうという志しや気概。それを発揮しなければならない。これまで一生懸命に身につけてきた力を、コロナに立ち向かうために使い尽くすときがきたのだ。私たちの貴重な能力や時間を、どうでもよい「政府」や「政治」への怒りに無駄遣いするのはもう止めよう。私たち一人一人が、真摯に揺るぎない信念を持ってコロナという災厄に立ち向かわない限り、日本には、どんな未来も描けないのだから。

私たちの怒りは、次の選挙まで決して忘れずに、そっと仕舞っておこう。