今の日本人の不幸は「国ガチャ」で外れて 日本に生まれたことだ 「日本語はガラパゴス言語」日本で生まれたおかげで 日本国民は英語の勉強のために とんでもなく時間を無駄にしている
海外でのビジネスが多かったせいで、色々な国で、色々な人たちと仕事をした。
その中で感じたのは、英語を母国語とするアメリカ人が、世界中至る所で働いているということだ。しかも、結構、高いポストと報酬で。
国際的な労働市場では、英語を使えることは、圧倒的なアドバンテージ。
英語を母国語とする高学歴のアメリカ人なら、世界中どこでも食いっぱぐれが無いということだ。
しかも、この場合、高学歴と言っても、一流大学卒ということではない。どの大学でもいいのだ。
英語しかできないドメスティックなアメリカ人でも、海外に出れば、立派な国際ビジネスマン。
国際ビジネスの世界で、アメリカ人は、日本人に比べ、遥かに恵まれている。
それはそうだろう、大学卒のアメリカ人くらいの英語力を持った日本人なんて、滅多にいないのだから。
今の日本人の不幸は「親ガチャ」ばかりではない。「国ガチャ」のせいもある。
日本語はガラパゴス言語。日本で生まれたおかげで、国民は英語の勉強のために、とんでもなく時間を無駄にしている。
思い切って、これから生まれる世代から、英語を母国語に変えれば、日本を復活させることだって、できるかもしれない。
巷でいくらリモート推進と叫んだところで フェイスツーフェイスで生きてきた頑迷古老のオッサンたちが一掃されない限り 何も変わらない ITだAIだデジタル化だと言ったところで 無理な話だ
政府やメディアはリモートを推進しろとうるさい。しかし、リモート拒否派は依然として多い。
そうは言っても、コロナ禍を経て「リモート」の時代に進むのは間違いないだろう。
考えてみれば、なぜ毎朝、時間をかけて遠い職場へと通わなければならなかったのか。
なぜ一日の仕事を終えて、疲れた体で、再び遠い自宅へと帰らなければならなかったのか。
そもそも、なぜ営業や企画、人事や経理など様々な部署の社員が、同じ職場で一緒に仕事をしなければならなかったのか。
確かに昔は、トップからシモジモまで、同じ職場で一緒に働くのが効率的だった。
今のように便利な通信手段など無く、フェイスツーフェイスで、紙に書いた書類をベースに仕事をしていたのだから当然。
会議も、情報交換の場として重要な役割を担っていた。
古き良き時代だ。
ところが現在は、情報通信技術の飛躍的な進歩で、通信コストは著しく低下。とりわけインターネットによる情報通信には、ほとんどコストがかからなくなった。
日々の業務の中で大量に生み出される様々な成果物も、サーバーやクラウドに保存され、世界中のどこからでも、瞬時にアクセスできる。
それなのに、なぜトップからシモジモまで、毎日、同じ職場に集まって仕事をしなければならないのか。
答えは簡単。
トップは1人ぼっちが大嫌い。部下を集めて号令するのが大好き。だからリモートなんて、もっての外。
たくさんの人に取り入って、身を粉にして働いて手に入れたトップの座。自分の周りにたくさんの部下を侍らしたいのだろう。
そればかりではない、組織では、報告、連絡、相談の「報連相」が重要。そのせいで会議がやたらに多い。
ところが、会議の実態はと言うと、実に情け無い。仕事のプロ同士の会議なのに、議題の深彫りもしないで、どうでもよいプレゼンの枝葉末節にこだわる。
「資料の字が小さ過ぎて読めない」とか、「もっと見やすい図や写真を使え」とか、「説明を平易にして、もっとわかりやすくしろ」などなど。
とにかく、肝心の会議の内容については、準備をした部署以外は、ほとんど無関心。
出席した幹部たちの、自己アピールのような、どうでもよい意見を散々聞かされた挙げ句。会議体のトップによる、まとめと称した「与太話」で会議終了。
終了後、結論が何だったのかを、出席者全員で「会議体トップの意向」を忖度しながら推測する始末。
まさに、何を言っているのかよくわからない「ノストラダムスの預言」の解釈をするような馬鹿げた会議ばかり。
しかも、その解釈も、結局は、社内政治に長けた俗に言う「茶坊主」たちに、都合よくねじ曲げられる。
巷で、いくらリモート推進と叫んだところで、フェイスツーフェイスで生きてきた世代が一掃されない限り、何も変わらない。
ITだAIだ、デジタル化だと言ったところで、頭が古くて、その恩恵を受けられない頑迷古老なオッサンたちがいる限り、無理な話だ。
近い将来 アナログな人間を デジタル化して 宇宙に発信する時代が来るだろう そうなれば不老不死となり 時空を超えられるかもしれない そんな時代が もうそこまで来ていると思うと 長生きしたくなる
1969年のアポロ11号の月面着陸は、まさに宇宙旅行。
それに比べ、地球の周りを回っているだけでは、宇宙旅行と言うには僭越な気がする。科学者や宇宙飛行士から怒られるかもしれないが。
宇宙旅行が好きな人とは、一体、どんな人だろう。失礼を顧みず想像してみた。
承認願望が異常に強い人。
うまくすると、有名になったり、金が儲かるかもしれないと、立身出世を目指している人。
これは、失礼過ぎたか。
人間なんて、宇宙に出たら、宇宙船と言う金魚鉢の金魚。外に出たらお陀仏。
酸素が無いと5分ももたない。
宇宙線を浴び続ければ癌になるかもしれない。
どう考えても、有機物の塊に過ぎない体で、宇宙に飛び出すなんて、無茶だろう。
ビジネスにするには、有害で安全性が低すぎる。
だから、アナログな人間を、デジタル化して、宇宙に発信する時代が来るだろう。
「アナログな人間」と言っても、頭の古いオッサンのことでは無い。肉体を持った人間のことだ。
人間を、肉体から解き放して、データ化する時代。
そうなれば不老不死となり、時空を超えられるかもしれない。
そんな時代が、もうそこまで来ていると思うと、長生きしたくなる。
アメリカでは 学部卒の学士の学位だけでは エリートへの仲間入りは難しい ハーバードの学生でも 4年間の学部時代の成績が悪ければ 名もない大学院にしか 合格できないというのが アメリカの現実だ
アメリカの大学生は、日本の大学生とは比べものにならないほど、勉強すると言われている。一流大学に限って言えば事実だ。
アメリカの場合、4年制の学士課程(学部)は、日本の高校に近いと考えるのがわかりやすい。
だから、学部を卒業しただけでは、アメリカでエリートと呼ばれる経営者、弁護士、医師、技術者にはなれない。
そうした職業に就くためには、4年制の学士課程を卒業した後、文系大学院のビジネススクールやロースクール、医学系大学院のメディカルスクール、理系大学院などに進学して、修士や博士の学位を取得しなければならない。
しかも、より高い初任給を得るためには、トップクラスの大学院を卒業しなければならない。
トップクラスの大学院に進学するためには、共通学力試験での高得点と、大学の学部での高成績(全Aに当たる4.0に近いGPA)が不可欠。だから4年間の学士課程では、日本の進学高校のように、勉強に明け暮れなければならない。
開成や筑波大附属駒場、麻布、灘などにあたるのが、ハーバード、イェール、プリンストン、コロンビア、ペンシルバニア、コーネル、ダートマス、ブラウンのアイビーリーグ8校や、スタンフォード、MITなどの名門大学。
そして地方の名門進学校にあたるのが、バークレイ、ミシガン、バージニアなどの一流州立大学や、アマースト、ハーバーフォードなどの一流のリベラルアーツ・カレッジなどだ。
ハーバードの学生でも、4年間の学部時代の成績が悪ければ、名もない大学院にしか合格できないのがアメリカの現実。
いずれにしても、アメリカでは、学部卒の学士の学位だけでは、エリートへの仲間入りは、難しいということだ。
将来 中国ばかりか インドも アメリカに並ぶ経済大国になる しかも中国とインドの人口を合わせると世界の3分の1 もし国連決議が「究極の民主主義とも言える人口比」になったら 国連を中国とインドが支配できる
早ければ10年後には、中国ばかりかインドも、アメリカに並ぶ経済大国になる。
しかも、中国とインドの人口を合わせると世界の3分の1。
もし、国連決議が「究極の民主主義とも言える人口比」にでもなったら、大変だ。
国連を中国とインドが支配できるのだ。
「何でもあり」となったこの世界。決して無いとは言えない。
そもそも、国連の改革が叫ばれている現在。
人口が数万人の国と、人口が10億人を超える国が、同じ1票という国連の議決権は、「個人の権利を重視する自由主義」にそぐわない。
人口大国の中国やインドが、国連決議を人口比にすることを求めてきたら「一体どうする」。
何せ、正論だから、「自由と民主主義」を愛するアメリカと西側諸国としては、反論しづらいだろう。
代替案として、議決権をGDP比にするという手もあるが、中国とインド以外は大反対だろう。
人口が減少して、経済が衰退していく日本にとっては、どちらの案でも大差ないだろうというのが情けない。
自由主義社会で自由を謳歌できるのは金持ちだけ 無制約な資本主義を許している「自由競争万能主義」は見直されるべきだ 今日も貧しい庶民は ブラックな資本主義社会で 生き残りを懸けて戦っている
アメリカや西側諸国は、「自由と民主主義」のためにロシアと戦うウクライナを賞賛し、支援している。
しかし、「ウクライナ国民の命」を懸けてでも守るべき、アメリカや西側諸国の推す「自由と民主主義」とは、一体何なのだろう。
アメリカや西側諸国では、間違いなく、「民主主義」は守られている。
たとえ家柄がよくても、金持ちでも、高学歴でも、博学でも、たくさん税金を納めていても、選挙権は平等に「一人一票」。
これこそが「民主主義の基本」だ。
しかも、この民主主義の基本は、公正な選挙制度によって確実に担保されている。
ロシアや中国の形だけの民主主義とは異なる「真の民主主義」だ。
それでは「自由主義」の方は、どうだろう。
「個人の自由」を保障することにより「自由な社会を創造する」政治的イデオロギー。
この自由主義は、「自由競争」の勝者に富を独占させることを「正義」とする「資本主義」と相俟って、共産主義や社会主義を駆逐した。
しかし、自由主義は、経済面では「個人の自由」より「自由競争」を重視しているようだ。
国富を増大させる「自由競争」のためなら「個人の自由」なんて、どうでもよいのかもしれない。
会社で働いた経験がある日本人なら、誰でも感じていることだろう。資本主義社会の日本では、会社の批判などをしたら、干されるか、解雇される。
だから、会社の目が届く範囲内では、「本音は御法度」。
まあ、命を取られる訳ではないから我慢するだけ。人生100年時代の僅か40年余りのことだ。
今、アメリカや西側諸国では、一人の大富豪が、数百億円、あるいは数千億円、いや数十兆円の富を持っている。
選挙権として国民一人につき一票しか与えられていないのに、富については、国民一人がいくらでも所有できる。
これが自由主義。
日本だって、この国の全ての富を一人の大富豪が所有しても、お咎め無し。それどころか「アッパレ」と称賛されるだろう。
いくら何でも、おかしな話だ。大富豪が、所有できる富に上限はない。
これが自由主義。
仮に、上限を設けようなどと言えば、必ず反対される。不思議な話だ。
しかも、反対する人たち全てが大富豪というわけではない。必ずしも豊かでない人までもが反対する。
「能力のある者が競争に勝ち、莫大な富を得る。それこそが資本主義の醍醐味だ」と言うことかもしれない。
しかし、いかに能力があろうと、そして、どんなに死にもの狂いで努力しても、数兆円の富を手にできるのは、ごくわずか。
ちまたでは、年収一千万円のサラリーマンが理想と言われている。それどころか、日本人の平均年収は430万円。
かたや大富豪、特にアメリカの大富豪は桁違い。
異常とも言える「格差社会」。これが「自由主義社会」と言えるのだろうか。
今や、共産主義や社会主義という対立軸を失い、無制約な資本主義となった「強欲資本主義」の世界には、誰も想像したことがなかったような大富豪が出現している。
しかも大富豪は、「所有権の自由」、「自由競争」の名の下に、さらに富を積み上げている。
自由主義社会で、自由を謳歌できるのは、競争の勝組の大富豪だけ。負組の貧しい庶民は、ブラックな資本主義社会の中で生き残るために、生存限界で、言いたいことも言えずに働いている。
これ以上、大富豪だけに富が集中し、持たざる人たちとの間の「格差」が広がれば、その行き着く先は「自由主義への不信」。
そうならないためにも、大富豪が所有する富のうち「どう考えても使い切れない富」を、国家の管理下に取り戻さなければ、君主や貴族など一部の特権階級だけが、富と権力を独占していた大昔に逆戻りだ。
ロシア人の大富豪の資産を凍結している自由主義諸国なら、それくらい簡単なことだろう。
決して自由主義や資本主義を否定しているわけではない。しかし、無制約な「資本主義」を許している「自由主義」は、見直されるべきだろう。
「弱体化したロシアが民主化してEUに加盟」そんな夢のような未来を期待したいが そうはならないだろう 強権政治が消えて 万一 無政府化したら その混乱が世界に波及して 手が付けられなくなるかもしれない
日本のメディアと一部の日本人は、独裁国家ロシアが、ウクライナ侵攻の失敗で弱体化してくれれば、万々歳と思っているようだ。
ロシアが弱体化すれば、現在の政権が倒れて、民主化するだろうと思っているからだろう。
しかし、そうはならないかもしれない。
弱体化したロシアが混乱し、無政府化して、世界最大のテロ国家。
しかも核兵器を持つ、手の付けようの無い国家になる可能性だってある。
ロシアが持っている兵器が、世界中に拡散、考えたくもない未来。
そんな、一難去ってまた一難ということだって。
ロシアの弱体化は、アメリカの狙い通りに進んでいるようだ。
しかし、アメリカのことだから、弱体化の先まで考えて心配しているかもしれない。
ロシアとウクライナと言う欧州の大国の混乱は、欧州ばかりでなく、世界秩序の混乱を引き起こしかねないからだ。
すでに、経済制裁に参加する国々と参加しない国々の分断で、グローバル経済は崖っぷち。アメリカや西側諸国の不人気が露呈した。
それどころか、早ければ10年後には、中国ばかりか、インドもアメリカに並ぶ経済大国になる。
いつまでも、ロシアに拘泥している時間は無い。
そのあたりが、ロシアのウクライナ侵攻に対するアメリカの対応が、分かりにくい理由なのかもしれない。
いずれにしても、平和への道のりは遠い。
しかも、その道のりで犠牲になるのは、大国の力関係や外交などとは無縁の「庶民」ばかり。
これが現実、辛過ぎる。