「半沢直樹」は 令和を代表する素晴らしい主役だ

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政治家や経営者には高齢者が多い。しかし、孤独には見えない。そう、たくさんの部下や取り巻きがいるからだ。金と権力を持つ者には、孤独など無縁。だから、金と権力を握った者は、その地位にしがみつく。ただそれでは、世代交代が進まず、日本も企業も衰退するばかり。政治家や経営者こそ、心構えだけでもいいから、清貧で孤独であって欲しい。そして、一番欲しいのは、中野渡頭取のような、地位にしがみつかない引き際の潔さだ。

今は、サラリーマンにとって厳しい時代。経済が成長しないから、企業も成長しない。ポストもサラリーも減る一方。大企業のエリートと言っても、経営幹部にまで上り詰めない限り、歳をとれば、満足な出向先も無く、再雇用でも無ければ、お払い箱というのが現実。

会社生活は、人生のほとんど全て。それなのに、出世を目指して、さんざん苦労したのに、歳をとればお払い箱なんて、ぞっとする。そう考えると、プライドや野心など捨てて、会社人生を楽しむ方が、いいのではないか。そんな風に達観していた筈のサラリーマンを、目覚めさせたのが、ドラマ「半沢直樹」だ。

半沢直樹が、持てる力を発揮して、崖っぷちの会社生活を、この上もなく充実させている爽快感。いいや、そもそも彼には、崖っぷちなんていう負け犬のような自覚はないだろう。そこが、また素晴らしい。彼の目指す方向性の根っ子には、勝手な思い込みや独善など全くない。彼は、常に、中野渡頭取以上の経営判断を下していく。それが、このドラマの醍醐味だ。しかも、彼には、顧客や世界が、必ず味方してくれるという強い信念がある。私たちは、そんな半沢直樹に共感して、いつの間にか、シンパになってしまうのだ。

サラリーマンは、数十年にわたる長い会社人生を送る。それでも、半沢直樹のように、自分の力を思う存分に発揮できる場に巡り会える機会は、あまりない。ほとんどのサラリーマンは、持てる能力を発揮することなく、会社人生を終える。寂しい限りだ。それにひきかえ、半沢直樹、本当に恵まれている。羨ましい限りだ。その理由は、一体何か。そう、彼には、揺るぎない自信と信念があるからだろう。しかも、その自信と信念は、彼が銀行に入行する前の「半沢家」の苦難に満ちた歴史に裏打ちされているのだ。おそらく、彼には、入行する以前から、「人生に対する哲学」があったのだろう。それが、彼の力を何百倍、何千倍にもしている。そう「千倍返し」は、決して言葉の遊びなどでは無いのだ。

私も思っていたのだが、会社人生を生き抜くためには、半沢直樹ではないが、自分なりの「人生哲学」持っていなければならない。何があっても、ブレない哲学。それと、自分の能力に対する自信だ。いい大学を出たなどということではない。そんなくだらないことではない。学歴や、誰かからの評価ではなく、自分自身の評価に基づく「人としてのアプリオリな自信」。

そもそも、自分の評価は、自分にしかできない。だからこそ、納得できない他人の評価を前にしたとき、「負けてたまるか」、「今に見ておれ」という気概が湧いてくるのだ。あてにならない他人の評価なんて、放っておけばよい。他人は「褒め殺し」でもない限り、良い評価なんて下さない。「人の不幸は蜜の味」、所詮、ねたみや嫉妬に根差しているだけだ。たくさんの人間がひしめく競争社会。「石が流れて木の葉が沈む」世界。上司や競争相手の訳の分らない悪意に満ちたマイナス評価や誹りなどに振り回される必要はない。

半沢直樹も、大物政治家から、「小童」とか「石部金吉」などと誹られていた。しかし、そんなことは、褒められているようなもの。痛いところを突いてくる半沢直樹を、畏怖しているからに過ぎない。私も、若い頃、スペインでの契約交渉で、交渉相手を叩きまくったら、「junk people」と言われたが、かえって光栄に思えた。結局、その交渉は、こちらの勝ちだった。

人生は「食うか食われるか」。そんな殺伐とした世界の「一服の清涼剤」が、ドラマ「半沢直樹」だった。

私は思う、主人公「半沢直樹」は、まさにレイモンド・チャンドラーの「タフでなければ生きて行けない。優しくなれなければ生きている資格がない。」という言葉にぴったりな、令和を代表する素晴らしい主役となったということを。