新民主主義

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今の日本社会は、貧しい者、生き方が不器用な者、様々な事情で学歴を得られなかった者、就職や転職に失敗した者、さらには、真面目で我慢強いにもかかわらずチャンスに恵まれなかった者に冷たい「敗者復活のない社会」。彼女、彼らのような普通の人たちが、この日本を支えているというのにだ。

思えば、第二次世界大戦以降、75年の長きにわたり、名も無き普通の人たちのおかげで、日本では革命もクーデターもない平和で安定した社会が続いてきた。本来ならば今頃、これに貢献してきた名も無き普通の人たちが「権力」や「富」を握っていてもおかしくなかったはず。ところが皮肉なことに、平和で安定した社会が続いたが故に、「世襲」や「縁故」が蔓延る階級社会となってしまった。

世襲政治家の家に生まれさえすれば、親の政治力と金で学歴を買い、強力な縁故で就職でも何でもできる。それで上手くいかなかったとしても、最終的には「家業の議員」になるだけ。そうなれば、途中経過など、もうどうでもよい。羨ましい限りである。

立法府の国会を俯瞰すると、自民党世襲議員による一党独裁の好き放題。野党はと言うと、「歳費」と「政党交付金」を使って、自民党世襲議員のような上級国民に這い上がろうとする輩の足の引っ張り合い。「もうこんな民主主義なんていらない」と誰もが思う惨状だ。このあまりにひどい国会の体たらくの中、国政を支える行政府が頼りになるかと思えば。こちらでも、日本の最高学府を卒業した官僚たちが、いつの間にか世襲議員の顔色をうかがうだけの執事になり下がってしまった。「若者よ、これが日本の民主主義の現実だ」と叫びたくなる。

所詮、貧乏人は頭が良くても貧乏人。いくらエリート官僚と自負したところで、金持ちの世襲議員には、生涯、勝てない。そうは言っても悔しくないのだろうか。官僚を目指して勉強していた頃のあなたたちだったら、家柄や金持ちだけが取り柄のボンボンの言うなりにはならなかったはず。そう、彼らは、あなたたちとは違い、自分の力では何者にもなれないような連中なのだから。それなのになぜ、そんな連中のために能力を無駄遣いするのだろう。世襲議員の尻拭いに明け暮れるトラブルシューターとして官僚人生を終えるだけでいいのだろうか。

まあ、こんなつまらない話はこのあたりにして、次に進もう。

昔、「ミニ政党」がブームになったことがある。しかし、当時は今のように金のかからないSNSのような便利な「連帯のための手段」がなかったので、社会を変革する大きなうねりにはならなかった。だが今は違う。日本国民の多くがSNSで繋がっているからだ。これまでは「声なき声」に過ぎなかった名も無き普通の人たちが、SNSを使って団結できるのだ。

私はあまり好きではないが、共産主義の有名なスローガンに「万国の労働者よ団結せよ」という言葉がある。これに習って「日本の○○○よ団結せよ」というスローガンの下に、志を同じくする人たちが、自分たちだけのために利己的に団結して「ミニ政党」を創る時代が来たのだと思う。

真面目な読者の中には、「自分たちだけのための利己的な政党」という言葉に抵抗を感じる方がいるのではないか。確かに、日本国憲法43条には「両議院は、全国民を代表する選挙された議員でこれを組織する」とある。国会議員は、衆議院議員参議院議員ともに、自分たちを選んだ人たちだけの代表ではなく「全国民の代表」でなければならないという民主主義の基本的イデオロギーが規定されている。

しかし、「そんなこと糞食らえだ」。世襲議員や、売名と金儲けのために議員になった輩が支配する国会が、生きるのに忙しくて選挙にも行けない名も無き普通の人たちに目配りなどするはずがない。

毎日、体を張ってこの社会を支えている人たちがいるから、あなたたち議員は、居心地のよい部屋で、高給を取ってのうのうと生きていけるのだ。そんな腐った輩に、これ以上好き勝手をさせないためにも、日本を支える名も無き普通の人たちが、今こそ団結しなければならない。来る選挙に向けて団結し、自分たちだけのための利己的な政党を立ち上げよう。

国民の利益なんて代表しない、国民を搾取するだけの「政治家の政治家による政治家のための政治」なんてもうご免だ。腐れ政治家の集まりに過ぎない「大政党」なんていらない。アメリカやイギリスのような「2大政党制」などという甘い幻想に惑わされた私が馬鹿だった。

「代表なくして搾取なし」これこそ日本社会を支える名も無き普通の人たちの「新民主主義」のスローガンだ。