ロシアのウクライナ侵攻を見て 改めて アメリカの凄さを再認識すると同時に 日本に生まれた不幸を思い知らされた

日本を強くするための第一歩となる「憲法改正」に向けての動きが、全く見えない。

日本人は、戦争の放棄を定める憲法の下でも、自衛のための軍隊は持てるし、自衛のための戦争は、できると解釈している。

しかし、よく考えて欲しい。

そもそも、「戦争放棄」を定める憲法を持つ日本が、本当に、NATOに代表されるような「軍事同盟」に、参加できるのかということを。

日本人は、「戦争放棄」なんて、単なるレトリックに過ぎないし、軍事同盟のための条約の方が、憲法に優先するから、問題は無いと考えているようだ。

しかし、軍事同盟の相手国から見たら、憲法で戦争の放棄を定めている日本が、有事の際に、同盟国のために戦えるのか否か、不安だろう。

軍事同盟において、「不確定要素」の存在なんて、絶対に許されないからだ。

戦争放棄」こそが不確定要素。

おそらく、憲法が改正されない限り、日本の軍事同盟への参加を認める国は、ないだろう。

そう考えると、現憲法のままでは、お互いに相手国のために戦うことを約束する軍事同盟に、日本は、加盟したくてもできないということになる。

ロシアのウクライナ侵攻で分かったように、「集団安全保障」こそが、安全保障の要。

憲法を改正しない限り、日本の安全保障のレベルを、米欧並みまでもっていける日など、永久に来ないかもしれない。

ウクライナの惨状を見て、「戦争の悲劇」に見舞われるか否かは、どこの国で生まれたかによって、ほぼ決まってしまうということを、改めて思い知らされた。

安全保障の観点からは、戦争リスクが一番低い国は、世界最強の軍事力を持つアメリカだろう。

アメリカは、ロシアのウクライナ侵攻においても、あらゆる情報を持っており、そうした情報の分析結果に基づき、迅速に、必要かつ十分な行動をとっている。

実戦のみならず情報戦でも、世界最強の力を持っていることを示した。

そんなアメリカと日本の軍事力の差は、経済力の差とは、全く比較にならないほど大きい。

大人と子供どころの差ではない。アメリカに比べたら、日本の戦闘能力などゼロだろう。

とにかくアメリカは凄い国。

世界最大最強の軍事国家なのに、シビリアン・コントロールが効いた「自由で民主的な国家」。

もし、この世界に、「アメリカ合衆国」が存在していなかったら、世界は滅亡していたかもしれない。

褒め過ぎかもしれないが、一面の真実だと思う。