失敗するたびに夢を持てばよい

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日本では、志望の大学に入れなかった悔しさを抱えている人はいても、大学受験で、青春を犠牲にしたと思う人は、あまりいないだろう。大学は、努力に見合う何かを与えてくれるところだからだ。首相となる菅さんを見ていると、強くそう思う。法政大学で学んだことで、新しい道を切り開くための何かを掴んだのではないか。

そもそも、「学歴」なんて、生きていくことと何も関係ないもの。無用とまでは言わないが、それだけで人生を渡っていけるほど、社会は甘くない。人生で、何よりも大切なのは、「学ぼうという情熱」と「何事にも真摯に取り組む姿勢」。これが豊かな人生の原動力だ。そんな生き方に対して、人が何を言おうと、放っておけばよい。

最近の、大学受験を見ていると、虚しさを感じる。「良い大学に入ると、良い人生を送れる」という漠然としたステレオタイプ的な価値観。「そんな価値観、ふざけるな」と言いたい。一発勝負のペーパー試験で、合否が決まる、大学入試なんて、どうでもよい。そこから先が重要なのだ。さらに言うと、大学なんて行かなくても、何も問題はない。学歴より、決して諦めない姿勢こそが、一番大事なのだから。そうだ、決して諦めてはいけない。「失敗するたびに、失敗を糧に、夢を持てばよい」。失敗しない人生に、本当の成功など来ないのだから。

最後に、誤解の無いように付言する。本当は「人生には、成功も、失敗もない」ということを。オリンピックではないが、「生を受けて、人生を生きることが尊い」のだ。全ての人が、こんな気持ちを持ってくれれば、この世界は、今より少し、生きやすくなるだろう。